上海通信Shanghai Report
東洋の真珠~香港
こんにちは、Beauty Works Shanghaiの清水です。
上海は秋が少しずつ深まりつつありますが、南方の香港はまだまだ夏のような気候です。
10年ぶりに香港に行ってきました。久しぶりに、懐かしい場所を巡ります。九龍サイドの尖沙咀からスターフェリーで香港サイドに渡ります。休日出稼ぎ外国人労働者(概ねフィリピン人が多い)にごった返す中環へ、そして灣仔、銅鑼灣界隈を徘徊してみます。その後、バスに乗って香港島の裏側赤柱(STANLEY)へ、戻ってきて最後にビクトリアピークにも登ります。1日の運動量としてはかなりのものです(笑)。
ワタシがこの地に最初に潜伏していた1990年代前半、香港もある種のバブル経済で、めっちゃ活気があり、ボヤボヤしていると弾き飛ばされそうなほど、みんながなにかに急いでいて、エスカレーターのスピードが日本の2倍くらいだったことに驚いたことを思い出します。また、栄枯盛衰、いまは見る影もありませんが、当時、九龍サイドから見る対岸の香港島の夜景のネオンは9割が日系ブランドで埋め尽くされていました。
それまで、アジアの金融センターだった香港は、ちょうど、中国の改革開放政策への転換で、華南の大陸ビジネスが勢い付き始めたころで、金融以外もなんでもやり、完全に金儲けの街と化していました。乗り遅れたたら損をするとばかりに、みんなが寝る時間や遊ぶ時間も惜しんで金儲けに精を出していたのです。ま、言い方を変えると、香港人も外国人もこの地で、必死にビジネスをしていたということで、香港が一番香港らしかった時代でもあります。
そんな香港に10年以上来ない間に、大きな変化が起きたことを実感します。
街を歩き回りますと、いまはもう、全盛期の香港ではないことを、肌で感じますが、それでも、東洋と西洋の文化が入り混じり、世界中のいろんな人種が存在し、なんでもありありのめっちゃ怪しい雰囲気は、いまだ人々を魅了し続けています。若かりし頃、香港を中心とした華南経済圏で商売の厳しさ、グローバルスタンダードを体感したワタシにとっては、ここは原点だし、やっぱりいまでもこの街が大好きなのです。
もしかしたら、香港は、すでに、アジアのハブ都市、中国大陸への玄関としての一定の役割を終えたのかもしれませんが、これからも、姿をや役割を変えながら、逞しく、”東洋の真珠”として、輝き続けて欲しいなと思うしだいです。
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文責
碧优缇商务咨询(上海)有限公司
COO 清水誉
慶應義塾大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院経済学研究科前期博士課程
修了、経済学修士。専門は、東アジア経済、中国労働経済。
1988年株式会社ブリヂストン入社、1993年広州事務所代表、1995年北京事務所代表、
1999年株式会社博報堂入社、2005年広東省広博報堂広告有限公司総経理などを歴任
し現職。中国ビジネス30年のスペシャリスト。
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