上海通信Shanghai Report
東洋の奇跡~深圳
こんにちは、Beauty Works Shanghaiの清水です。
広東省の省都広州から150kmくらい東側に深圳という街があります。改革開放前、人口わずか20万人だった漁村は、貿易や国際物流、不動産、そしてなにより、通信大手华为やドローンで世界を席巻するDJIを生み出すなどITの街として大発展を遂げ、いまでは人口2000万人近い大都市になりました。東洋の奇跡です。
私事ですが、1990年代、若かりしころ頻繁に往来した深圳駅と香港国境(とはもはや言わない)罗湖を訪れてみました。口岸の赤い建物の向こう側は香港で、罗湖という香港地下鉄の駅に繋がっています。香港はいま中国の一部になり、昔のように、島国日本人が歩いて国境を超えたときの不思議な気持ちはないのですが、香港がまだ英国領だった頃はここを超えると、妙にホッとした気分になったことを懐かしく思い出します。
スリ、ひったくり、置き引き、詐欺、強盗、麻薬、売春、誘拐、、、治安が極限まで悪かった当時の深圳駅前は、いま、統制され整然としていました。てくてく歩いて老街まで来てみると、やはり相変わらず広東省特有のワイルドな生臭い街の匂いがします。
故鄧小平元国家主席の改革開放時代、深圳が経済特別区に指定され、社会主義市場経済のテスト&モデルシティとしていまの中国の礎を築きました。
当時は、深圳市内に入るにはパスポートや特別な通行証が必要で、一般ピープルは深圳に入ることができませんでした。広州から深圳に入るゲートは第二国境と呼ばれていたことなんかを、80后90后ましてやZ世代の若者は全く知る由もないと思います。
当時のある日、深圳と広州の二重ナンバーを持つタクシーで、深圳第二国境を突破しようとしたワタシはゲートで、車が汚すぎると言われて、ゲート前の洗車スペースで、タクシー運転手と一緒に洗車したことを思い出すのです。客のワタシがなんで、洗車せなあかんのん?とは思うんですが、運転手から、早く突破したいならお前も手伝えと言われ、なるほど確かにと、若干28歳の純粋な若者は、ホースでタクシーに水をかけるのです。
アジアの奇跡と言われるほどに発展した深圳に来ると、いつも思い出す小さな小さな懐かしいエピソードです。はい。
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文責
碧优缇商务咨询(上海)有限公司
COO 清水誉
慶應義塾大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院経済学研究科前期博士課程
修了、経済学修士。専門は、東アジア経済、中国労働経済。
1988年株式会社ブリヂストン入社、1993年広州事務所代表、1995年北京事務所代表、
1999年株式会社博報堂入社、2005年広東省広博報堂広告有限公司総経理などを歴任
し現職。中国ビジネス30年のスペシャリスト。
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