上海通信Shanghai Report

仙霞路~日本人的歓楽街

2024年02月27日

こんにちは、Beauty Works Shanghaiの清水です。

地下鉄2号線娄山关路~威宁路の間、地下鉄路線から500mくらい南下したあたりに東西を走る仙霞路という道路があります。

娄山关路からてくてく歩きますと、水城路のあたりから飲食店街となり、安龙路を超えると、たくさんの日本料理屋さんとか日式飲み屋つまりキャバクラ、KTV、バー、スナックなんかが軒を連ね、威宁路まで続きます。

今振り返れば、業種や会社によって多少の前後はあるものの、2010年に開催された上海万博のあと、2012~2013年あたりが中国経済、上海経済、そして日本企業のピークだったんではないでしょうか。。。

その当時、この仙霞路界隈にはたくさんの日本人がそれなりに強い円と豊富な資金をバックに、夜な夜な出没し、日本のバブル期を彷彿させるような派手な振る舞いをしていました。誤解を恐れずに表現すれば、肩で風を切って歩き、札束をばらまいていました。もちろん、日本人だけが狂喜乱舞していたわけではなくて、場所を変えて、韓国人が集まるエリア、欧米人が集まるエリア、そして中国人が集まるエリアでも、似たような光景が見られました。

あれから10年余りが経過し、コロナ禍もあり、通りの様子は大きく変貌しました。ゴーストタウン化したとまでは言いませんが、日本人だけを相手にしているような日本料理屋さん、たくさんの小姐が在籍してるようなKTVはだいぶ減りました。日本人(駐在員さん)の数は大きく減少し、代わりにわりと羽振りがよい中国人が闊歩するようになりましたが、コロナ禍後の経済停滞を反映するように、また処理水問題で日本料理屋が敬遠されるようになってからは、景気のいい感じの中国人も相当減少しました。

それでも、夜になれば、それなりに日本人は集まってくるし、週末にもゴルフ場から直行したような昼呑み族もいます。しかしながら、以前のような活気はなく、ちょっと間違うと、新規オープンしても短期間で潰れる店もあります。時代も変わったし、その過程で上海のあちこちにお店ができて、日本人が出没するエリアも分散したということもあるかもしれませんが、以前のストリートの様子を知る者にとって、また、コロ禍を挟んで数年ぶりに訪れた日本からの出張者にとっては、少々寂しく感じるんじゃないかと思います。

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文責
碧优缇商务咨询(上海)有限公司
COO 清水誉
慶應義塾大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院経済学研究科前期博士課程
修了、経済学修士。専門は、東アジア経済、中国労働経済。
1988年株式会社ブリヂストン入社、1993年広州事務所代表、1995年北京事務所代表、
1999年株式会社博報堂入社、2005年広東省広博報堂広告有限公司総経理などを歴任
し現職。中国ビジネス30年のスペシャリスト。
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