上海通信Shanghai Report

上海で世界史を想う~上海犹太难民纪念馆

2022年11月25日

こんにちは、Beauty Works Shanghaiの清水です。

11月も後半になりまして、最高気温が20℃に届かない日も増え、日もだいぶ短くなってきましたが、暖房を入れるところまでは、まだもう少しだけ猶予がありそうです。

さて、上海地下鉄12号線、提篮桥站と大连路站のちょうど真ん中あたり、长阳路沿いに上海犹太难民纪念馆(上海ユダヤ難民記念館)という施設があります。

日本人的には、上海とユダヤ人の歴史といわれてもピンと来ないかもしれませんが、実は両者には深いつながりがあるのです。
日本のガイドブックなどでは、ほとんど紹介されていませんが、ヨーロッパやロシア、東欧からの旅行者にとっては、上海で絶対行くべき鉄板のスポットだそうです。

1933〜1941年にかけてナチスの迫害から逃れたユダヤ人たち(約2~3万人と言われてます)が上海にやってきました。現在の虹口区、とくに提篮桥站周辺エリアは当時日本の占領下にあり、日本がこの一帯を「無国籍難民限定居住区」と定め、ユダヤ難民をこの界隈に強制的に居住させました。
当時の在ウィーン中国領事館にいた何鳳山という人物が、上層部の命令に反して、オーストリア系ユダヤ人に中国ビザを発給し続けたこと、また当時の上海港は、どの国の人であれ自由に出入りできたことなども、上海にユダヤ難民が詰めかけた一因だったようです。もともとは教会堂だった場所を、いまは結構お金をかけ、館内あちこちに最新の技術を駆使して、立派に改装しています。

ゲート前にオジサンが立ってまして、WechatPayで20元支払って館内に入りますと、ユダヤ人迫害の歴史や当時の生活の様子、生活用品や贈答品なんかが展示されています。全体的に「寛大な中国が当時世界で唯一ユダヤ人をビザなしで受け入れていた」という論調で、「ナチスドイツがいかに酷いか」、そして全体の1割くらいですが、日本軍国主義がいかに残虐だったかということが情報発信されています。

週末、思ったより多くの人がいますが、館内言語は全部、英語、中国語、ヘブライ語による紹介ということもあってか、来館者は、中国人と欧米人が中心、この日、日本人はどうやらワタシだけのようです。

敷地内には、カフェなんかもありまして、見学した後、ゆっくりコーヒーを飲みながら、わずか80年くらい前、近代史の闇の部分に思いを馳せるのです。

***************************************
文責
碧优缇商务咨询(上海)有限公司
COO 清水誉
慶應義塾大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院経済学研究科前期博士課程
修了、経済学修士。専門は、東アジア経済、中国労働経済。
1988年株式会社ブリヂストン入社、1993年広州事務所代表、1995年北京事務所代表、
1999年株式会社博報堂入社、2005年広東省広博報堂広告有限公司総経理などを歴任
し現職。中国ビジネス30年のスペシャリスト。
***************************************